スイカ食べたい日記

本・映画の感想、適応障害の経過、暴君な夫との日常

カウンセリングをもっと気軽に

昨日は半期に一度ある社内カウンセラーとの面談でした。

いつもは何となくカウンセラーのおじさんとお話して終えますが、

今回は最近の悩み、つまり今の仕事が合っていない、自分のやりたいことを探したいと伝えることを決めていました。

 

オンラインでの面談が始まると、カウンセラーのおじさんは人懐こい笑顔で「最近どうですか?」と聞いてきて、私は言葉に詰まってしまいました。

最近は毎日が楽しくないような気がして、仕事に向き合うのが辛くて、夜も眠れなくて、でも自分のやりたいことなんて分からないから次の一歩も踏み出せなくて…

そんな言葉で頭がいっぱいになってしまい、何かを話そうとすると涙が浮かびました。

でも、泣いては自分の言いたいことが伝わらないと思い、ぐっと堪えました。

 

カウンセリングの時間を通じて伝えられたのは、

最近仕事に向いていない気がして頑張れないこと、自分のキャリアについて考えていること、早くこの部署から異動したいこと

今の私が他人に話せる言葉はこれぐらいしかありませんでした。

 

カウンセラーのおじさんは、私の後ろ向きな発言に少々驚いたような顔で「まあ、3年目っていうのはそういう時期だからね、みんな悩むよ」と言ってくれました。

きっとおじさんは、いつもと同じように雑談して、仕事は問題ないですという回答を期待したのでしょう。

社内カウンセラーなんて、ほとんど形骸化しているとその時感じました。

「仕事を変えたいと思っている」との私の発言に対しても「今すぐに、もう耐えられないって程じゃないよね?」と言われてしまいました。

生来の良い子ぶりっ子が発動し、「そうですね、やりたいこと考えながらちょっと頑張ってみます」と答えて、後悔しました。

今日だって休もうか休むまいか、午後から休んじゃおうかなどと考えているのに…

 

また何かあれば連絡してください、と言われましたが、このおじさんには話しづらいなと思いました。

社内の人で、社内事情や私の周囲の人をよく知っているということが、悩み相談という場においては非常にネックです。

 

何の解決にもならないカウンセリングを終えて、私は一人で泣きました。

夜、寝る前にこのことを振り返りながら、もっと気軽にカウンセリングを受けられる世の中になることを想像しました。

従来と比較して、メンタル系の疾患に対する偏見は改善されつつあると考えています。

とはいえ、やはりメンタル不調や悩みがあると言ってカウンセリングを受けるのは、何か大仰なような気がして、「自分はそれほど悩んでいません」と尻込みしてしまいます。

蓋を開けてみれば、同期や先輩にもそれなりの人数が産業医面談や休職など何かしら措置を受けており、特別珍しいことではないはずです。

それでも、頭を自由にする時間が欲しいと願いながら、休職を申し出ることができないのは、自分の中に偏見があるからなのでしょう。

 

体の調子が悪ければ病院に行くように、

いや、もっと気軽にコンビニに行くくらいの感覚で、メンタルの不調を第三者に聞いてもらえるような世の中になれば良いのに

これはもしかしたら、自分の「やりたいこと」に結びつくかもしれません。