スイカ食べたい日記

本・映画の感想、適応障害の経過、暴君な夫との日常

【映画感想】屍人荘の殺人

私はミステリーが好きです。

小学生の頃、初めてハマった小説がはやみねかおる先生の「夢水清志郎シリーズ」だったからか、いまでも小説・ドラマ・映画・アニメと媒体を問わず、一番大好きなジャンルです。

 

そして神木隆之介くんも大好きです。

 

神木くん×ミステリーな本作は、そんな私のツボをがっつり抑えていました。

 

以下、ネタバレ含む感想です。

 

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ウォーキングの楽しみと懸念

最近少しずつ不眠が改善され、ちゃんと寝てから朝を迎える日が増えてきました。

それまでは寝付くのに2時間、夜中に目が覚めてしまい頑張って寝ようとして、また目が覚めて無理やり寝ようとして、やっぱり目が覚めて、もう寝るのを諦めて明け方3~4時にリビングのソファでうずくまっているような生活でした。

寝ようとしている間は、仕事のことや関係者の顔が頭の中でぐるぐるぐるぐる…ひたすら駆け巡っていて、ほとんど気持ちが休まりませんでした。

 

そんな状況から少しずつ良くなりつつあるので、病院の先生からも勧められたウォーキングを始めてみました。

ウォーキングといってもほとんど散歩のようなもので、朝5-6時台に30分から1時間程度、近所をゆっくり歩いています。

一度7-8時台に外に出たことがあるのですが、通勤するサラリーマンとすれ違うと「自分は一体何をしているんだ」と自分を責めてしまい、結果ものすごく気分が落ち込み、その日一日中寝込むことになってしまいました。

だからまだ人の少ない早朝の時間帯に外を散歩しています。

 

今の季節、朝の5時台はほんのり明るい空で、空気も少しひんやりしていて気持ち良いです。

気持ちよさ以外にも、私のウォーキング欲を維持しているものが三つあります。

ポケモンGO

言わずと知れた有名ゲームですよね。

今年でリリース5周年ですが、まだまだプレイ人口は多いようです。

卵を孵化させるために歩いたり、ポケモンを置くために少し遠くのジムまで足を伸ばしたり、散歩にも目的が生まれて歩くのが楽しくなります。

特にジムにポケモンを置くと報酬がもらえるので、私は近所中のジムを転々としながら歩いています。

 

Voicy

ラジオアプリ、といったところでしょうか。

音声配信のプラットフォームで、様々なジャンルのお話を聞くことができます。

よく聞くのはこちらのパーソナリティーの方々です。

  • ながら日経 / 日本経済新聞社
  • Voice of ちきりん / ちきりんさん
  • 荒木博行のbook cafe / 荒木博行さん
  • とりあえずやってみよう! / 石井正則さん
  • 5分de日本史タイムスリッパー
  • マグの一冊|本紹介チャンネル / マグさん
  • サムの本解説ラジオ / サムさん

公園めぐり

私が今住んでいるところは歩いていける範囲に公園がいくつかあり、それを目的地として歩くこともあります。

早朝の公園は近所の方々がラジオ体操をされていたり、ワンちゃんを散歩させている飼い主さんがいたり、ランニングに励む方がいたりと、朝のゆったりした時間を味わうことができます。

私は公園に着いたらベンチに座ってぼーっと周りの様子を眺めていることが多いです。

 

今のところ散歩を始めてからは体調が良いのですが、少し注意しなければいけないと思うことがあります。

それは「散歩=良いこと」と思うあまり、「散歩できない=ダメ」となってしまいそうなことです。

抑うつ症状のせいか、完璧主義思考が強まり、かなり極端な考え方をしてしまう時があります。

体調が悪い、雨が降っている、朝起きられなかった……散歩できない要因は色々思い浮かびますが、その都度自分が落ち込んでしまい、再びソファで何もできない生活に戻ってしまわないかが不安です。

でも、こうして自分の考えそうなことを前もって言語化しておくのは、ある意味予防策になり得るかもしれません。

【読書感想】内向型の生き方戦略 中村あやえもん

自分は内向型に分類される、あるいは内向型の要素が強いなと思います。

人付き合いは好きだし、人前に出るのも苦ではありません。発表役はむしろ得意です。

しかし、ある程度の刺激を受けたら、疲れて一人になりたがるのも事実です。

どれだけ仲良くて気心の知れたサークルの同期でも、一週間ずっと行動を共にするのは想像するだけでしんどいです。

中村さんによると、これは内向型の特徴である、と言います。

 

本書では内向型を「境地開拓型」、外向型を「社会維持型」と呼びます。

生物の進化・淘汰の歴史を振り返り、内向型が生存競争に不利な要素であれば、きっと滅んでいるはず、今日まで内向型が生き残っているのは、その方が種の存続・繁栄に都合がいいからと本書では考察されています。

今の社会は外交型に都合よくできているため、内向型は自分を無理に適合させるのではなく、適切な生き方を知ろうというのが本書の目的になります。

 

刺激に対する感度の鋭さは人によって違う

中村さんは、刺激への感度はほぼ先天的で、変えることは難しいと述べています。

これは半分その通りだと思います。

事象に対して、その人がどう感じるかは先天的な要素が強いですが、好ましくない感じ方は認知行動療法などの訓練で改善することができると思います。

ただ、「どう感じやすいか(刺激に対する過敏さ)」といった傾向は、先天的で変えて行くのはなかなか難しいと思います。

 

また、刺激に対する過敏さは、時にメンタルの強弱で語られます。

刺激に対する感度が鋭い人は、大抵の場合「メンタルが弱い」と評価され、人と比べて自分を卑下したり落ち込むこともありますが、

中村さんはそれを弱点ではなく、生まれつき持っている性質だから仕方のないことだ、と言います。

 

社会の集団で生きていくには、どうしても弱点を克服しなければ! と躍起になってしまいますが、

私の感じるしんどさは私だけのもの、誰かと同じだったり誰かに理解される必要はないのかも知れない、そんな風に思えると、気が楽になりますね。

 

社会維持型はストレスに強く、平凡な日常を退屈に感じる

これは夫によく当てはまるな、と思いました。

私はひたすら散歩したり、本を読んだり、家事をしたりするのが楽しいと感じていますが、

彼から見ると、私は何もしていないように見えて、そこに充足感を覚えるのが理解できないようです。

夫は勝負性の強いゲームを暇さえあればしています。私は見ているだけで疲れてしまうので、よくもまあ夜中までできるもんだと思っていました。彼にとっては、そのくらいの刺激がないと楽しいと思えないのでしょう。

 

私は、例えば良い天気の日に洗濯物が干せたり、冷蔵庫のあまりものを使って上手に献立を組み立てられたりすることに心地よさを感じます。読みたいと思っていた本を読んでいるときもそうです。

些細な日常に幸せを感じやすいことは長所だと中村さんは言います。それは境地開拓型にしかできず、社会維持型には難しいことだと。

しかし反面、境地開拓型はストレスに弱く、社会維持型にはむしろ心地よいと感じるストレスでも、境地開拓型には過剰に感じてしまうのだそうです。

それも先天的なもの、変えようと無理をする必要はないのです。

 

適切な距離の違い

社会維持型は、自分の周辺社会を維持するために人と近づく必要があり、距離の近さこそが親密さである、と捉えます。

一方で、境地開拓型は互いに干渉し合わず、自分を優先できるような距離を保つことが愛情だと考えます。

 

これは私たち夫婦の考え方の違いに、非常によく当てはまります。

夫と付き合った当初、連絡頻度が多すぎること、愛情表現が直接的なこと、そしてそれらを私にも同じ量求めてくることに、私は疲れてしまいました。

彼はとにかく心の距離を詰めることが愛情だと思っていて、私は距離を取ることが相手を尊重することだと思っているからこそのすれ違いです。

 

よく私は人付き合いにおいて冷たい人間だと言われますが、こうしてみると、自分も傷つきたくないし、相手も不用意に傷つけたくないという気持ちの表れと言えるかもしれません。

夫はとにかくコミュニケーションを取りたがり、意見が違えば議論をぶつけ合い、互いを理解することが正しいと信じて疑いません。

私は議論自体疲れるから嫌で、そもそも意見の違いを意識しないような距離感を保ちたかったり、意見が違っても互いに影響しないような関係性が居心地良いと思うのです。

 

境地開拓型は社会の外に向かいたがる

境地開拓型は読んで字の如し、社会で生きることに息苦しさを感じて、自分の居場所を境地に求めるのだそうです。

私は生まれ育った地元を離れ、都心の大学に進学、そのまま就職しました。これも社会から離れて境地へ向かった結果と言えそうです。

そうして境地に来たはずなのに、気づけば境地の人と親しくなり、コミュニティに参加し、そこはいつしか立派な社会となりました。

今の私は、再び境地を目指そうとしているのかもしれません。

 

しかし境地開拓型には、社会で成功すれば境地に向かえると思い込みがある、と中村さんは指摘します。

自分の先入観を言い当てられたようで、ドキッとしました。私はこれまで、お金貯めたり仕事を続けて休みを多くもらってから、自分の好きなことをしようと考えていたのです。

本来は真っ先に境地に向かって自分の強みを発揮してしまえばいい。境地開拓型が社会で成功するのは難しいのだから、回りくどい道を通るべきではない、と中村さんは言います。

 

社会には代わりがいる

社会は全体として機能しなければならず、一人が欠けて機能が停止するのを防ぐため、必ず代わりがいるものです。会社なんか、良い例ですね。

そんな社会の中で、境地開拓型が自分の存在価値を見出すことは難しい、と言います。

 

「お前なんかいてもいなくてもいい、他にも代わりがいる」と夫は私に言います。

私が抱え込み過ぎていたり、責任を感じ過ぎているときに、私を励ますために言っているようですが、私には本書にある通り、

「自分がいなくても他の誰かがいるなら、むしろ私がいることでその誰かの居場所を奪っているのかもしれない。それなら私はどこにもいない方がいい」

と感じてしまいます。

これは抑うつ症状が特にひどい時によく考えることです。

自分は高校・大学・就活と他の誰かの枠を奪い、押しのけることでここまで来てしまった。でも、そもそも社会に適合できないのであれば、わざわざ枠を奪うような真似をしなければよかった。他のだれか、もっと上手くできる人に譲ればよかった……

そして、これからも生きていくことで、その枠を奪い続けるなら、いっそのこといなくなってしまおう、と考えるのです。

 

境地を開拓する場合、前もって学んでおくのは不可能

境地では何の知識が必要になるか、その場に行くまで分からない。必要に応じて能力を身につけるのが効率的だと中村さんは言います。

私は前もって学ぼうという姿勢が強すぎるな、と思いました。

本を読むこと自体が好きなのだけれど、自分がやろうとしていることについて予習するため、本を読んでいる面も否めません。

 

私は「巨人の肩の上に立つ」という言葉が好きです。これはかのニュートンが用いた言葉で、論文を検索するGoogle Scholarのトップページにも記載されています。

意味は先人たちの偉業や発見に基づくことで、新たな知見を得られる、といったところでしょうか。

 

私にとっての読書とは、まさに巨人の体をよじ登り、肩に立つための行為です。だから好きなのですが、やはりアクションを起こさなければ、現状を変えることはできません。

やはり多少のリスクを覚悟で行動しないと、自分のやりがいや生きがいは見つからないのかも知れない、と思わされました。

 

学校は社会維持型の組織

中村さんは学校という組織を社会維持型と位置づけます

そこでは減点法で評価され、一点が飛び抜けて優秀であることより、全体的に欠点がないことの方が好まれます。

 

私たちのような「さとり世代」は失敗してもいい、挑戦するのが大事と言われ始めた世代だと思います。

私たちの前のゆとり世代が失敗を恐れ、挑戦を嫌う傾向があると認識されてから、その揺り戻しのように私たちは挑戦を推奨され始めたように思います。

けれど、挑戦の仕方、失敗からの立ち直り方は教わりません。鉄棒が出来ない子、跳び箱が飛べない子は居残りさせられ、できなかったという事実のみ評価されます。怖いけど立ち向かったことは評価されません。

 

社会は失敗すると損失が大きい、だから失敗を忌避するように出来ているが、境地では失敗による損失は少ない、と中村さんは言います。

しかし私は、社会だろうが境地だろうが、挑戦することをもっと推奨するべきだと考えます。

社会維持型だろうと境地開拓型だろうと、挑戦的であることはその人にとって新たな選択肢を見つけやすくなるはずだからです。

学校が挑戦を歓迎するのであれば、子供たちを様々な境地に向かわせて、損失の起きない失敗で練習することが良いのではないか、と思います。

 

 

自分は多くの境地開拓型の特徴に当てはまっていると感じます。

しかし、ここは社会維持型では? と思うものもあります。

例えば本書では、社会維持型は「嫌なことを我慢しなければ成功できない」と考えているのでストレスに強い、と述べられており、実際私も「嫌なことでも、みんな我慢しているんだから」と思っていました。

 

これは本書でも言及されているとおり、タイプ分けではなく程度の問題、ということなんだと思います。

中村さんによると、社会維持型/境地開拓型は綺麗にタイプ分けされるものではなく、程度の問題であり、そして相対的なものでもあるということです。

私との関係性においては「社会維持型」のように思える夫も、もしかすると境地開拓型的な面もあるのかもしれません。逆も然り、です。

 

だからこそこういった本は、自分は外向的だと信じて疑わない人でも、読んでみると新たな発見があるかも知れません。

逆に言えば、私は外向的な人向けの本、例えば営業向けの本を毛嫌いせずに読んでみることで、新たな自分の一面が見つかったり、素質の活かし方を学べるかも知れないと思いました。

本書は具体的な数字や根拠となるエビデンスの記載はありませんが、抽象的な文章の方が、時には多くの人に届き、理解を得やすいのかもしれない、と思いました。

 

 

【読書感想】「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック 姫野桂

本書はAmazon Prime Readingで見つけた本です。

私は発達障害と診断された訳でも、自覚症状がある訳でもありませんが、自分のつい先延ばしにしてしまう癖や、中々手をつけられない癖などの改善に役立つかも! と思い読んでみました。

 

自分のタスクの棚卸しする癖をつける

タスクの内容と期限、重要度を書いた一覧表を用意する、あるいは付箋で管理することで、

やるべきことを頭の中に置いておかず、やり残しを防止できます。

例えば朝起きた時に、その日のタスクを洗い出して、全てこなせたらご褒美、という風に習慣づけることで、やり残しや先延ばしを防止できるかもしれません。

 

ルーティンは手順リストを作る

毎日行うルーティンをリスト化します。

タスクの棚卸しと似ていますが、タスクの棚卸しは日々異なる内容になるのに対し、ルーティンは毎日・毎週決まった内容になります。

これは仕事もそうですが、料理とか掃除、美容にも応用できそうです。

例えば何曜日はどこを掃除して、何のゴミを出して、献立はいついつ考えて買い物リストを用意して、と今は全て頭の中で完結してしまいますが、

これを頭の外に出すことで、「先の予定を考え続ける」状態から頭を解放することができそうです。

 

元々頑張れない日/時間帯をスケジュールに組み込む

私はお昼過ぎが全然ダメで、ご飯食べ終わって13-15時くらいは眠くなくても集中できない時間です。

そこで頑張ろうと気力を振り絞っても、芳しい結果にならず、自己肯定感を下げるだけなので、ダメな時間はダメ! と割り切ってみようと思いました。

そもそも何もしないか、移動や動画視聴など、何もしなくても良い予定を入れてみることにします。

短時間の昼寝や瞑想などで、集中力を回復してみるのもありかなと思います。

 

 

本書はたくさんの発達障害当事者の方々が実践しているライフハックを多数紹介しており、一つの困りごとに対して様々な角度から改善策が提示されています。

上記以外にも細かい内容のライフハックが多く、「こういうことも苦手なんだ……発達障害の方が現代社会を過ごすのは大変そうだ」と思いました。

ただ、本書の内容は職場や家庭、友人関係で活用することで、暗黙の了解みたいなものが無くなり、みんなが居心地よく過ごせるような気がします。

職場では業務の属人化が防げたり、家庭でも家事や育児の分担がやりやすくなるなど、発達障害の方以外にも、いろんなところで応用することのできるライフハックだと思いました。

構って欲しい暴君

暴君はとにかく周囲の(というか私の)注目を自分に集めたがります。

外では衝動を抑えられるのか、自分に注目が向いていなくても我慢できるようですが、

こと私と過ごしている間、暴君は常に私の注目を欲します。

 

私はどちらかというと一人の時間が優勢で、

必要なときだけ相手がいればいい、後の時間はお互い好きにすればいいと思っています。

そのため、大体の喧嘩はこんな感じで勃発します。

暴君「こっちを見ろ、こっちの話を聞け!」

私「してほしいことがあるなら、自分で言え!」

 

時間管理のできない暴君

暴君は時間管理ができません。

それは彼自身、自覚があるようで「早く偉くなって秘書に全部任せたい」などとよく言います。

 

先日、暴君が出かける用事があり、同じタイミングで私も家を出ることにしました。

彼は時間に余裕を持って支度することができないため、出かけ間際はいつも私が待たされます。

結局時間ギリギリになり、「ほんっと人に興味がないよね! 今何時とか教えてくれたっていいでしょ! 電車の時間伝えてるわけだしさぁ!」と、ぷりぷりしながら走って行きました。

平民(私)は訓練されているので、この程度の八つ当たりは穏やかに受け入れることができます。

ですが、正直なところ、「お前の準備状況など知るか。25歳にもなって一人で支度できないのか」と思います。

 

彼は「察して欲しい・気を遣って欲しい(ただし俺は人に気を遣うとストレスが溜まるからしない)」で、私は「やって欲しいことがあれば、それは言葉にして相手に分かるように伝える」と考えています。

暴君も付き合った当初は「察してくれるの待ちは良くない。ちゃんと言葉にしよう」と言ってくれていたのですが、

いつの間にか「お前は俺に気を遣え、言われなくてもやれ」となってしまいました。

 

今回の場合は「暴君の準備状況を見て、彼に言われずとも適切なタイミングで時間をアナウンスする」が正解でした。

もし秘書がついたとしても、流石にそこまではしてくれないと思うよ……

 

風邪をひいた暴君

暴君が風邪をひいた時のこと。

彼に食べられるものを聞き、私はコンビニに買い出しに行きました。

頼まれたヨーグルト、プリン、スポドリなどを買って帰ると、暴君は弱々しく「ありがとう」と言いました。ここまでは平穏です。

私が袋からプリンを出した時です。そのプリンが気に食わなかったようで、

「こいつwwwやりおったなwww」

と半笑いで言いました。

 

私は意地悪でそのプリンを選んだ訳ではありませんし、そもそもプリンの具体的なリクエストを今まで聞いたこともありません。

風邪をひいた暴君のためを思って、自分の買い物はほとんどせずに買ってきたのに、その言い方はあんまりだと思いました。

最初は暴君も「いや、プリンの好みは言ってなかったし、今初めて言ったことだから……」と自分の発言を悔いていましたが、

次第に「ありがとうって言ったんだからさ……そんなネチネチ言うなよ」と苛立ち始めました。

 

「ありがとう」は確かに大事な言葉ですが、魔法の言葉ではありません。「ありがとう」を言えばその後の発言も全て許される訳ではありません。勘違いしないで欲しいものです。

「こいつwwwやりおったなwww」この発言は、どれほど寛容な見方をしても褒め言葉ではありません。

そう言うとジョークだとかネタだとか言い出しそうですが、ジョークもネタもTPOを弁えなければ只の侮辱です。

 

この件は暴君も少し引け目を感じるのか、大爆発には至りませんでした。

ただ、「嫁ちゃんが熱を出したときは、優しく看病してあげたんだからさ、それを忘れないでよね」と恩着せがましく言ってきたのは疑問です。

常日頃から優しければ、私も彼に優しくしないと…! と自省することもできたでしょう。

心理学で言うところの「返報性の原理」です。

しかし彼は、私のメンタルが落ち込み、動くことも考えることもままならない時に

「そういう態度ほんと迷惑、ストレス溜まる、実家に帰れよ」

といった趣旨の発言をしているのです。

 

前述の通り、私は自分のして欲しいことは正直に伝えるタイプなので、

「今は何も言わず見守って欲しい、回復するのに時間が必要」

と伝えましたが、「俺はそういうの無理。疲れる」と断られました。

 

落ち込んでいる人を見て良い気分にならないことも、自分も引きずられて落ち込んでしまうことも分かります。

ただそれを、無抵抗で立場の弱い私に言っておきながら、何故自分は優しくしてもらえると思ったのでしょうか。

人は自分が「してあげた」ことは「された」ことの3倍強く記憶に残る、とよく言いますが、本当にその通りなんだなぁと思いました。

 

話を聞いて欲しい暴君

暴君と一緒に出かける時の話です。

いつも通り、彼は出かける直前まで準備が終わらないので、私は先に玄関の外で待っていました。

その日は少し肌寒く、暴君は服装に迷っていたようで

上着羽織ろうかな、どうしようかな」

と何度も繰り返していました。

それが独り言に聞こえた私は、何回目かの「どうしようかな」に対して

「寒いなら羽織ったら良いんじゃない? 私は寒くないけど」

と答えてポケモンGOをしていました。

 

この態度が気に食わなかった暴君は「今日はもう一緒に居たくない!」と臍を曲げてしまいました。

私は「着るかどうかくらい、自分で決めろや。体感温度は人それぞれなんだし」と言ったのですが、

今回の暴君は「着るかどうかの判断は自分でする! 話をちゃんと聞いて欲しい!」でした。

 

話をちゃんと聞いても、「着ようかな、どうしようかな」しか言ってないじゃん……と思うのですが、暴君的には「着てきたら?」の一言が欲しかったようです。(いや、言うたやん)

暴君がゲーム中、私が話しかけても彼はゲームを優先するので、私はゲームがひと段落するまで会話を待ちますが、私が暴君よりゲームを優先することは許されないのです。

 

それにしても、「私の話をちゃんと聞いて! こっちを見て!」は、若い女の子なら可愛い我儘ですが、25歳の男性が言っても……可愛くないですね。

【読書感想】在宅ハックス 小山龍介

本書は著者が在宅ワークを実践する中で、在宅だからこそできる効率化のテクニックを紹介している内容です。

仕事のみならず、読書や勉強にも活用できそうな内容ですので、時間のある今のうちに、自分が集中できる環境を作って行きたいと思います。

 

仕事環境は余計なものがない状態にする

著者の小山さんは「散らかったものが目に入り続けると、脳の認知資源が枯渇して集中力がなくなる」と述べています。

認知資源というと難しい用語に感じますが、要は「気が散る」という意味になるかと思います。

 

確かに、休職前私はリビングで仕事していました。机の上は朝ごはんの皿が出しっ放しだったり、ソファにリモコンが無造作に置かれていたり、あまり片付いてはおらず、認知資源を使い果たしている状態だったのかも知れません。

自分はなんて集中力がないんだ、と嘆いていましたが、実は環境が集中力を妨げていたのだと思います。(まあ、その環境を作り出しているのは私なのですが……)

 

いくら片付けようとしても、リビングは仕事専用の場所ではないので、どうしても余計なものが目に付きます。

そこで、玄関の靴箱の上のスペースをスタンディングデスクのようにしてみようかと考えています。

芳香剤置いたり、デスク用のライトを置いてみたり……玄関は靴さえ片付けてしまえば何もないので、気が散ることもなさそうです。

壁に向かって作業するのも気が滅入りそうですので、写真や絵を飾って開放感を出すのもいいですね。

 

ベランダにテーブルと椅子を置いて、オープンカフェ風にしてそこで作業するのも気分転換いちょうど良いかな〜なんて考えています。

これからの時期は少し寒いかもですが、ベランダもやはり気が散るものが何もないので、集中しやすい環境だと思います。

 

仕事の環境で五感を心地よくする

嗅覚:芳香剤やアロマディフューザーを使う

 本書だけでなく、私がこれまで読んだ『「精神科医の禅僧」が教える 心と身体の正しい休め方』(川野泰周)や『本当に頭が良くなる 1分間勉強法』(石井貴士)でも言及されていたように、香りというのは脳のパフォーマンスに大きな影響を与えます。

 今は無印良品のアロマディフューザーを使っているのですが、寝る前にしか使っていません。

 無印良品には様々なシーンを想定してブレンドされたアロマオイルが揃っていますので、集中力が上がりそうなものや、気分をリフレッシュできそうなものを試してみたいと思います。

 

聴覚:Apple Musicで適した音楽を聴く

 今のApple Musicにはフィットネス中や集中したいシーンにオススメの楽曲がプレイリストとしてまとめられているので非常に便利です。

 他にも、朝一番は自分のテーマソングで気分を高めたり(『習慣を変えれば人生が変わる』マーク・レクラウ)、少し疲れてきたらジャズを流してリラックスしたり(『心と身体の正しい休め方』川野泰周)、音楽の力を使っていきたいと思います。

 

以下は本書では言及されていませんが、私なりに「他の感覚も試せそうだな〜」と思った内容です。

 

触覚:ベランダで外の風、気温を感じながら作業する

視覚:自然風景の写真を飾る

味覚:ビターチョコレートを食べる

 

ゲーム感覚で取り組む

 よく「仕事をゲームだと思え! 遊ぶように仕事できるやつが最強!」なんて意識高めなポジティブな言葉を聞いたりしますが、私にはとてもゲームだとは思えませんでした。

 そもそもゲームに人が嵌る仕組みというのは、そこそこの難易度の課題に対して取り組み、その結果がフィードバックされることで脳が快感を得るのだとか(聞きかじりの知識で、正確ではないかもです)

 だとすれば、私が仕事をゲームだと思えないのは、①課題の難易度が適切でない(高すぎるor低すぎる) ②取り組みに対するフィードバックがない の2つが要因として考えられます。

 

 本書ではこのうち、②取り組みに対するフィードバックについて、ポモドーロテクニック+レコーディングという手法を紹介しています。

 ポモドーロテクニックと言えば、25分間の作業+5分間の休憩を1ポモドーロとしてサイクルを回すことで集中力を維持するテクニックですが、

 これにプラスして、1ポモドーロでどのくらい作業ができたか・集中できたかを記録し、把握します。

 取り組んだ内容に対して振り返りをすることで、フィードバック効果を生み、ゲーム感覚で取り組むことができるのだそうです。

 

 何ポモドーロで〇〇までやる! というように、自分なりにゴールを設定して、達成すればご褒美とすれば、さらにやる気と集中力が上がるかも知れません。

 

自分なりの気分転換方法を持つ

 在宅ワークの場合、どうしても家にこもりがちになります。

 そこで本書では、運動不足にならないよう体を動かす気分転換が推奨されています。

 例えばリングフィットアドベンチャーで運動不足解消 昨年秋頃に抽選で手に入れてからほぼ毎日続けていたのですが、今年3月末の引越しを機に中断してしまいました。

 本書で小山さんがオススメされているのを見て、そろそろ再開してみようかなと思いました。

 その他にもYoutube、TEDで情報をインプットしながら早歩き 私はVoicyを聴きながら散歩するのが日課になっていますが、TEDで英語学習しながらウォーキングもカッコよくて気分が上がりそうです。

 運動以外のところでは、瞑想を取り入れる(多数の書籍で推奨されていて、もはや定番ですね)、ワーケーションしてみることもオススメされていました。

 コロナが落ち着くまで東京から地方に行くことは中々憚られますが、都内のホテルに泊まってみるのも気分転換としてアリかな〜と思います。

 

本書を読むにあたって、休職前の仕事内容を念頭に置いて、取り入れられそうなことをピックアップしてみました。

正直なところ、「早く復帰しなきゃ!」や「休んでいる間、少しでも有意義な時間にしないと!」と焦っている感じは否めません。

病院の先生からは「今はまだゆっくり休んで、仕事に対して『やってみてもいいかな』と思えるようになってから、復帰のことは考えましょう」と言われているので、

仕事に対してもう少し前向きになったときには、この内容を参考にしていきたいと思います。

 

【読書感想】超ズル賢い勉強法 藪田崇之

タイトルが魅力的ですよね、勉強法にズルなんてあるの? と興味をそそられます。

結論から言うと、本書で紹介されている勉強法のズルポイントは

机に向かってガリガリ何時間も勉強するんじゃなくて、遊んだりテレビ見たり、自分の好きなことをやりながら勉強も両立させちゃおう

といったところかな、と思います。

 

本書は資格取得のための試験勉強や、高校・大学受験をする人向けです。

勉強=嫌いなことを我慢して机に向かってバリバリやる、と考えている人にオススメかもしれません。

 

私はこの手の勉強法の本に中学・高校時代にハマっていたこともあり、既にやっているな〜と思う内容もありました。

高校・大学受験の勉強では、休みの日に集まって勉強しようと友達を誘ったり、好きなテレビ番組を見ながら片手間で英単語眺めたり、寝る前は好きなパズルゲームの時間を確保していたり、

長い距離を息継ぎしながら泳ぐように、好きなことで気分転換しながら乗り切っていました。

 

本書では「ズル賢い勉強法」と呼ばれていますが、こうしたやり方こそが正攻法じゃないかなと思います。

机に向かってガリガリ、は一夜漬けならまだしも、長期間の勉強が前提の受験においてはあまり良い方法ではないと言えます。

 

本書で私が特にポイントだと思ったのは、「遊びの予定を優先して、余った時間に勉強する」です。

高校・大学受験では少し難しいかもしれませんが、資格試験や仕事のスケジュール管理にはこの考え方は使えるなと思いました。

 

藪田さんは「好きなことを我慢させられるから勉強が嫌いになる。それなら好きなことを優先してしまえばいい」と言います。

これは本当にその通りだな〜と思いました。

勉強嫌いな子って、好きなことを制限されて勉強を強制されるから勉強を嫌いになってしまうんですよね。

だから、まずは好きなこと・やりたいことを優先する。そしてその上でスケジュールの空き時間に勉強を組み込む。

仕事でも、まずは自分のプライベートを楽しみな予定で埋める。そうすると、残った仕事の時間で効率的に仕事に取り組めるのかもしれません。

 

コロナのせいで外出が制限され、比較的アウトドア派だった私はやりたいことをひたすら後回しにしてきました。

例えば海外旅行。

学生時代によく一人旅をしていましたが、行く先々で出会う社会人の先輩たちと話していると、「社会人になっても連休とかで旅行いけるし、学生と比べものにならないほどお金があるからもっと楽しいよ」なんて励まされることが多々ありました。

しかしコロナのせいで海外はおろか、国内の旅行すらも制限される事態に……

仕方ない仕方ないと言い聞かせているうちに、私は自分の欲求を発散させるのではなく、押さえつけるようになっていたのだと思います。

 

自分のやりたいことに向き合ってあげなかったから、今は息継ぎもできずに溺れてしまっているのでしょう。

今もあまりやりたいことが思い浮かびませんが、何かをやりたいという意欲が湧いてきたら、その時はしっかり拾ってあげて、優先してスケジュールに入れたいと思います。