【読書感想】内向型の生き方戦略 中村あやえもん
自分は内向型に分類される、あるいは内向型の要素が強いなと思います。
人付き合いは好きだし、人前に出るのも苦ではありません。発表役はむしろ得意です。
しかし、ある程度の刺激を受けたら、疲れて一人になりたがるのも事実です。
どれだけ仲良くて気心の知れたサークルの同期でも、一週間ずっと行動を共にするのは想像するだけでしんどいです。
中村さんによると、これは内向型の特徴である、と言います。
本書では内向型を「境地開拓型」、外向型を「社会維持型」と呼びます。
生物の進化・淘汰の歴史を振り返り、内向型が生存競争に不利な要素であれば、きっと滅んでいるはず、今日まで内向型が生き残っているのは、その方が種の存続・繁栄に都合がいいからと本書では考察されています。
今の社会は外交型に都合よくできているため、内向型は自分を無理に適合させるのではなく、適切な生き方を知ろうというのが本書の目的になります。
刺激に対する感度の鋭さは人によって違う
中村さんは、刺激への感度はほぼ先天的で、変えることは難しいと述べています。
これは半分その通りだと思います。
事象に対して、その人がどう感じるかは先天的な要素が強いですが、好ましくない感じ方は認知行動療法などの訓練で改善することができると思います。
ただ、「どう感じやすいか(刺激に対する過敏さ)」といった傾向は、先天的で変えて行くのはなかなか難しいと思います。
また、刺激に対する過敏さは、時にメンタルの強弱で語られます。
刺激に対する感度が鋭い人は、大抵の場合「メンタルが弱い」と評価され、人と比べて自分を卑下したり落ち込むこともありますが、
中村さんはそれを弱点ではなく、生まれつき持っている性質だから仕方のないことだ、と言います。
社会の集団で生きていくには、どうしても弱点を克服しなければ! と躍起になってしまいますが、
私の感じるしんどさは私だけのもの、誰かと同じだったり誰かに理解される必要はないのかも知れない、そんな風に思えると、気が楽になりますね。
社会維持型はストレスに強く、平凡な日常を退屈に感じる
これは夫によく当てはまるな、と思いました。
私はひたすら散歩したり、本を読んだり、家事をしたりするのが楽しいと感じていますが、
彼から見ると、私は何もしていないように見えて、そこに充足感を覚えるのが理解できないようです。
夫は勝負性の強いゲームを暇さえあればしています。私は見ているだけで疲れてしまうので、よくもまあ夜中までできるもんだと思っていました。彼にとっては、そのくらいの刺激がないと楽しいと思えないのでしょう。
私は、例えば良い天気の日に洗濯物が干せたり、冷蔵庫のあまりものを使って上手に献立を組み立てられたりすることに心地よさを感じます。読みたいと思っていた本を読んでいるときもそうです。
些細な日常に幸せを感じやすいことは長所だと中村さんは言います。それは境地開拓型にしかできず、社会維持型には難しいことだと。
しかし反面、境地開拓型はストレスに弱く、社会維持型にはむしろ心地よいと感じるストレスでも、境地開拓型には過剰に感じてしまうのだそうです。
それも先天的なもの、変えようと無理をする必要はないのです。
適切な距離の違い
社会維持型は、自分の周辺社会を維持するために人と近づく必要があり、距離の近さこそが親密さである、と捉えます。
一方で、境地開拓型は互いに干渉し合わず、自分を優先できるような距離を保つことが愛情だと考えます。
これは私たち夫婦の考え方の違いに、非常によく当てはまります。
夫と付き合った当初、連絡頻度が多すぎること、愛情表現が直接的なこと、そしてそれらを私にも同じ量求めてくることに、私は疲れてしまいました。
彼はとにかく心の距離を詰めることが愛情だと思っていて、私は距離を取ることが相手を尊重することだと思っているからこそのすれ違いです。
よく私は人付き合いにおいて冷たい人間だと言われますが、こうしてみると、自分も傷つきたくないし、相手も不用意に傷つけたくないという気持ちの表れと言えるかもしれません。
夫はとにかくコミュニケーションを取りたがり、意見が違えば議論をぶつけ合い、互いを理解することが正しいと信じて疑いません。
私は議論自体疲れるから嫌で、そもそも意見の違いを意識しないような距離感を保ちたかったり、意見が違っても互いに影響しないような関係性が居心地良いと思うのです。
境地開拓型は社会の外に向かいたがる
境地開拓型は読んで字の如し、社会で生きることに息苦しさを感じて、自分の居場所を境地に求めるのだそうです。
私は生まれ育った地元を離れ、都心の大学に進学、そのまま就職しました。これも社会から離れて境地へ向かった結果と言えそうです。
そうして境地に来たはずなのに、気づけば境地の人と親しくなり、コミュニティに参加し、そこはいつしか立派な社会となりました。
今の私は、再び境地を目指そうとしているのかもしれません。
しかし境地開拓型には、社会で成功すれば境地に向かえると思い込みがある、と中村さんは指摘します。
自分の先入観を言い当てられたようで、ドキッとしました。私はこれまで、お金貯めたり仕事を続けて休みを多くもらってから、自分の好きなことをしようと考えていたのです。
本来は真っ先に境地に向かって自分の強みを発揮してしまえばいい。境地開拓型が社会で成功するのは難しいのだから、回りくどい道を通るべきではない、と中村さんは言います。
社会には代わりがいる
社会は全体として機能しなければならず、一人が欠けて機能が停止するのを防ぐため、必ず代わりがいるものです。会社なんか、良い例ですね。
そんな社会の中で、境地開拓型が自分の存在価値を見出すことは難しい、と言います。
「お前なんかいてもいなくてもいい、他にも代わりがいる」と夫は私に言います。
私が抱え込み過ぎていたり、責任を感じ過ぎているときに、私を励ますために言っているようですが、私には本書にある通り、
「自分がいなくても他の誰かがいるなら、むしろ私がいることでその誰かの居場所を奪っているのかもしれない。それなら私はどこにもいない方がいい」
と感じてしまいます。
これは抑うつ症状が特にひどい時によく考えることです。
自分は高校・大学・就活と他の誰かの枠を奪い、押しのけることでここまで来てしまった。でも、そもそも社会に適合できないのであれば、わざわざ枠を奪うような真似をしなければよかった。他のだれか、もっと上手くできる人に譲ればよかった……
そして、これからも生きていくことで、その枠を奪い続けるなら、いっそのこといなくなってしまおう、と考えるのです。
境地を開拓する場合、前もって学んでおくのは不可能
境地では何の知識が必要になるか、その場に行くまで分からない。必要に応じて能力を身につけるのが効率的だと中村さんは言います。
私は前もって学ぼうという姿勢が強すぎるな、と思いました。
本を読むこと自体が好きなのだけれど、自分がやろうとしていることについて予習するため、本を読んでいる面も否めません。
私は「巨人の肩の上に立つ」という言葉が好きです。これはかのニュートンが用いた言葉で、論文を検索するGoogle Scholarのトップページにも記載されています。
意味は先人たちの偉業や発見に基づくことで、新たな知見を得られる、といったところでしょうか。
私にとっての読書とは、まさに巨人の体をよじ登り、肩に立つための行為です。だから好きなのですが、やはりアクションを起こさなければ、現状を変えることはできません。
やはり多少のリスクを覚悟で行動しないと、自分のやりがいや生きがいは見つからないのかも知れない、と思わされました。
学校は社会維持型の組織
中村さんは学校という組織を社会維持型と位置づけます
そこでは減点法で評価され、一点が飛び抜けて優秀であることより、全体的に欠点がないことの方が好まれます。
私たちのような「さとり世代」は失敗してもいい、挑戦するのが大事と言われ始めた世代だと思います。
私たちの前のゆとり世代が失敗を恐れ、挑戦を嫌う傾向があると認識されてから、その揺り戻しのように私たちは挑戦を推奨され始めたように思います。
けれど、挑戦の仕方、失敗からの立ち直り方は教わりません。鉄棒が出来ない子、跳び箱が飛べない子は居残りさせられ、できなかったという事実のみ評価されます。怖いけど立ち向かったことは評価されません。
社会は失敗すると損失が大きい、だから失敗を忌避するように出来ているが、境地では失敗による損失は少ない、と中村さんは言います。
しかし私は、社会だろうが境地だろうが、挑戦することをもっと推奨するべきだと考えます。
社会維持型だろうと境地開拓型だろうと、挑戦的であることはその人にとって新たな選択肢を見つけやすくなるはずだからです。
学校が挑戦を歓迎するのであれば、子供たちを様々な境地に向かわせて、損失の起きない失敗で練習することが良いのではないか、と思います。
自分は多くの境地開拓型の特徴に当てはまっていると感じます。
しかし、ここは社会維持型では? と思うものもあります。
例えば本書では、社会維持型は「嫌なことを我慢しなければ成功できない」と考えているのでストレスに強い、と述べられており、実際私も「嫌なことでも、みんな我慢しているんだから」と思っていました。
これは本書でも言及されているとおり、タイプ分けではなく程度の問題、ということなんだと思います。
中村さんによると、社会維持型/境地開拓型は綺麗にタイプ分けされるものではなく、程度の問題であり、そして相対的なものでもあるということです。
私との関係性においては「社会維持型」のように思える夫も、もしかすると境地開拓型的な面もあるのかもしれません。逆も然り、です。
だからこそこういった本は、自分は外向的だと信じて疑わない人でも、読んでみると新たな発見があるかも知れません。
逆に言えば、私は外向的な人向けの本、例えば営業向けの本を毛嫌いせずに読んでみることで、新たな自分の一面が見つかったり、素質の活かし方を学べるかも知れないと思いました。
本書は具体的な数字や根拠となるエビデンスの記載はありませんが、抽象的な文章の方が、時には多くの人に届き、理解を得やすいのかもしれない、と思いました。